ブランド至上主義の昨今について思うこと

ブランド至上主義の昨今について思うこと

昨今のブランド至上主義について考えていることをここに綴りたい。

所謂ブランド物と呼ばれている服は、歴史あるコレクションブランドだったり、世界的なセレブが身に着けたことで人気が爆発したブランドだったり、要するに”認知度が高い服”=”価値が高い服”と考えられがちだ。ただ、まぁ、この点に関しては完全なる貨幣社会になっている実情を考えると概ね理解できる。希少性が高いからこそ価値が上がる、これは世の常であり、時代がそれを証明している。それに俺自身もブランド物自体を毛嫌いしているワケではない。ハイブランドの服を給料の大半を費やして買い、袖を通した時なんか、その日は終始ウキウキ状態。浮足立ったスキップで街を揚々闊歩する。そう、俺は俗物。

価値観は人それぞれとは言うけど

理解できないのは、「ブランド物こそが価値ある服」と捉えられ過ぎていることだ。というのも、ファッションフリークと呼ばれる人には二種類いると感じていて、①単純に服の機能美にエクスタシーを感じる人種 ②自分を着飾るのが好きな人種 の二種類だ。この溝は深い。前者は服の歴史を紐解いて、必然性から生まれた最低限かつ最大の機能美を見るたびに涎を垂らす変態。かくいう俺もどちらかと言えばこちらに分類される。問題は後者だ。SNSで著名人が着用したアイテムがインフレーションを起こすことも珍しくなくなったが、俺はあの現象が起こる度に吐き気がする。あれ、なんなんだろうね? だって服だぜ? 要するに布だぜ? 元を辿れば木片か虫の吐いた糸だぜ?(テキスタイルを馬鹿にしているワケではないので、あしからず) 何故にウン十万~ウン百万の貨幣価値が生まれるんだろう。そして着飾るのが好きなファッションフリークはこぞってコレに群がる。理解できない。…でも、そこが面白い。

 

価値という機能が求められている

ここで一つ弁明。俺は別に ②着飾るのが好きな人種 のことは嫌いではない。むしろ好感すら抱いている。だってカッコ良くないか? 目に見えない価値に大金をつぎ込む。つぎ込めるなんて。ロマンがあるよね。男の中の男だと思う。あ、女性もいるのか? じゃあ、その女性は女の中の女だ。峰不二子だ。心から尊敬する。そのくらい俺は心から好感を抱いている。ただ、昔気質な服好きから言わせれば、こういう”流行に乗った”買い物はとても滑稽だと思うんだ。品物の価値を量るものさしがブランドのネームバリューだけ。自分自身でモノの価値を判断することができないから、他者が定める価値に依存する。自身の審美眼に自信がないから故の敵前逃亡。ではどうすればこの状態から脱却できるのか。それは歴史を学び、素材への知識を増やし、風船のように空虚に膨らんだブランド価値を見抜けるようになることだ…とは、俺は思わない。歴史を重んじるファッションフリークは得てして昨今の若者をこのように一蹴しがちだが、俺はそうは思わない。時代は変わる。時代が変わるにつれて服に求める機能が他者価値に変換されたと考えれば合点がいかないだろうか。つまりブランド名に執着をして自分を着飾る人々は時代とともに進化を果たした服好きなのかもしれない。デジモンで言うところのメタルグレイモンだね。

 

ファッションはどこへ向かうのか

2010年代中盤から頭角を現したお洒落なストリートファッション。その勢いに押されたモードブランドは、ストリートとの融合を果たすことで進化を遂げた。と、同時にファッションにおける垣根が本格的になくなったと俺は感じている。元を辿れば、ヨーロッパを中心に発達してきた煌びやかなトラッド・モード。アメリカ労働者のために必要な機能を備えてきたワーカーファッション。発達する資本主義の陰で貧富の差から生じたストリートファッション。もちろん他にも多種多様なジャンルがあるが、このすべてが一緒くたになったのが2016年ごろから市民権を得た現代の主流な”お洒落”のように感じる。どんなジャンルでも食べようと思えば食べに行ける東京の外食産業のように、着ようと思えば何でも着れる、まさに飽着時代に入ったというわけだろう。では、こんな時代で何を着ることが本当のお洒落なのか。

答えは無い。誰しもが自由に着る服を選べるようになったからだ。だからこそ俺が言いたいのは、着る服は自分で選ぼうぜってこと。幸いにも今はこんなに衣・食・住で溢れている。極端に言えば、ストリートもモードも古着も関係なくて、機能もデザインも関係ない。メンズだってレディースの服を着ても良いし、敢えてハイブランドで全身固めるのも良いと思う。大事なのは、自分がカッコ良いと思えるかどうかだ。そこに他人の価値基準は入る余地はないし、意味もない。「他人が良いと言っているからブランド物を着よう」と考えているのだとしたら、それは馬鹿野郎だ。それで良いのか? 世の中はこんなにも良いモノで溢れている。他人の価値判断をもとに自分の着るものを決めるんだとしたら、「他人が良いと言っているブランド物の良さを理解したいから、ブランド物を着よう」だ。着て、その良さを感じて初めて服を自分で選んだことになる。何も考えず・感じずに服を着てるんだとしたら猿と何も変わらないだろ? そういうことだと、俺は思うんだ。逆に言えば、自分が良いと思っているのなら無名のブランドを着ていても全くダサくないと思う。むしろカッコ良い。

だから、というと少々無理やりな気もするが。敢えてこの長ったらしいコラムを総括するとしたら言いたいことがある。当サイトSqueeezeに関してだ。ここでは服好きの人たちの選択肢を増やしていきたい。世の中にはこんな面白いモノがあるんだって。手に入れようとすれば手に入るってことを伝えたい。いや、むしろ服が好きじゃない人にも読んで欲しいな。「あれ? ファッションって面白いのかな」なんて思ってくれたら御の字だ。こんな小さなメディアが、そんな小さな想いを少しでも与えることができるなら、きっとまだファッションシーンは面白くなっていく。

 

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